神明神社古墳は土合古墳群の一つで、同古墳群の展開する大宮台地西端の舌状台地の南の残丘上に立地する。 墳丘の南西部分が神明神社によって削平(さくへい)されているが、他の部分は形を良く止めている。 高さ4m、直径40mを測る円墳で、土合古墳中はもとより、市内最大の円墳である。 |
東福寺本尊で薬師如来像とされている。 檜の一本造りで、内ぐりはなく、古色、彫眼である。痛みが著しい。肩はやや張り、緊張感のある面相をしている。頭部の螺(ら)髪(はつ)は、切付けで粒が大きく、肉(につ)髻(けい)も大きく高い。 衲(のう)衣(え)は偏(へん)祖(はん)右肩(うけん)で、衣文の刀の切り込みは鋭い。膝前は別木であり、両手先は江戸時代頃の後補と思われる。 平安時代後期の作と考えられ、損傷は著しいが、市内を代表する古仏の一つとして貴重である。 尚、昭和48年修理を行った。 |
東福寺の墓地造成中に出土したもので、完形を保っている。 石材は緑泥片岩である。上半には、蓮台に乗る阿弥陀三尊種子が薬研彫で端正に彫られ、瓔珞(ようらく)の下がる天蓋がかかる。 また、主尊蓮台下側からも瓔珞が下がっている。下半には一対二口の花瓶(けびょう)が線刻され、その間には1315年の鉻が刻まれている。 制作も優秀で、鎌倉時代末期の典型的な板石塔婆として保存価値が高い。総高129cm・上幅31cm・下幅34,7cm・厚さ3,4cm |
この文章は武蔵風土記、土合郷土史、浦和市史等よりまとめた文章です。古代は一世紀から二世紀にかけて、西日本を中心に多くの小国家が作られていました。