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 住みよい環境とまちづくりをめざして

     

【地区自治会連合会紹介】real estate


南部地区自治会連合会

  南部地区自治会連合会について

  【自治会数】  17
 
  【加入自治会】 辻一丁目自治協力会 
           辻二丁目自治会(自治会のページWebサイトブログ
           辻三丁目自治協力会
           辻四・五・六丁目自治協力会
           辻七丁目自治協力会
           一二三自治会
           辻八丁目自治協力会
           辻水深団地自治会
           文蔵一丁目自治会
           文蔵二丁目自治会
           文蔵三丁目自治会
           文蔵四丁目自治会
           文蔵五丁目自治会
           文蔵南自治会
           神明自治会
           根岸自治会
           根岸三丁目自治会

 
  【活動拠点】  主に文蔵公民館で活動しています。

  【主な活動内容】
 定例会議、研修旅行、防犯パトロール、防災訓練、
            敬老会、定期美化活動、盆踊り等の開催


 ※南部地区の活動紹介のページははこちら

  
     南 部 地区


  南部地区の歴史的背景と概要


 南区南部地区はさいたま市の南に位置し、川口・蕨・戸田の三市に隣接する辻・根岸・文蔵で構成されている面積約2.7平方kmの地区です。

 歴史をさかのぼると、江戸時代の地方汎例録(農政書)によれば、辻・根岸には江戸日本橋を基点とした木曾街道に繋がる中山道が走り、慶長年間、奉行大久保石見守は江戸より諸国道中へ一里塚を築かせ、ここに榎を植えたと記されています。現在、辻7丁目の旧中山道沿いには一里塚の記念碑が建立されています。
 更に北へ進むと、間もなく宿場として栄えた浦和宿に至るのですが、中山道を通る旅人が、荒川を渡って蕨宿を過ぎると最初につきあたる難所の坂が焼米坂で、この中腹に焼米を売る店がありました。
旅人が一時の空腹のしのぎや、茶うけとして立ち寄ったことから、いつの間にか焼米坂という呼び名が定着したようで、現在の南浦和小学校東側の旧中山道沿いに焼米坂の記念碑が建立されています。



一里塚の記念碑

焼米坂の記念碑


 このように、中山道を旅人が往き来した当時を偲ばせるような記念碑や店構えの家を随所に見ることができます。

 時は流れ、享保年間に入ると徳川吉宗は、財政再建の一つとして米の増産を図りました。これが即ち新田開発です。吉宗は、紀州から土木・治水の技術者、井沢弥惣兵衛為永を招き、見沼溜井の水を廃止して新田(現見沼田んぼ)を作り、同時に行田の利根川から代用水路の掘削を開始、菖蒲町を経て上尾市瓦葺で東縁・西縁のこ本に分岐し、更に、さいたま市東部の台地の裾野を流れる見沼代用水路を完成させて、利根川から取水を始めました。六辻地区の水田を潤す見沼代用水は西縁の支流で.総延長60kmに及びます。
 因みに、かつての六辻地区は浦和の穀倉といわれた米どころで、見沼代用水を灌概用水として数百町歩(ヘクタール)に及ぶ米作が昭和40年代まで続けられていました。しかし、昭和36年には南浦和駅の開設、同48年の武蔵野線の開通、また、同60年には埼京線に続いて平成4年には外環道の開通等、幾多の変革を経て、周辺地城の都市基盤も急速に整備されました。そのため、小・中・高等学校・公民館等の新設は申すに及ばず、住宅・商店・企業等の中高層建物も急増し、人口も著しい増加へと推移しています。

 このように発展を遂げるなかで、見わたす限りの水田も年々減少の一途を辿り、ついに昭和60年代になると殆ど水田の光景が見られなくなりました。そのため、約260年もの間、灌概用水として役割を果たしてきた歴史ある見沼代用水路も、いよいよ終焉となり平成3年2月には旧浦和市の施工により、文蔵を基点とした総延長2,400mの「うるおいゾーン」「にぎわいゾーン」「せせらぎゾーン」として区分されたみどり豊かな六辻水辺公園に生まれ変わり、老若男女の憩いの場として多目的に利用されています。




六辻水辺公園


 以上、南部地区の身近な歴史の一端を記してみましたが、現在の南部地区は、永年の変遷を経て、昭和55年11月の住宅表示の改定により、おおむね前示の通り各丁目単位の自治会が構成され、現在に至っています。


  南部地区(自治連)の歴史

南部地区(自治連)の歴史


【町の成り立ち】
1891年(明治24年)
 白幡、根岸、文蔵、辻、沼影、別所の6村が合併し、六辻村 となる
1938年(昭和13年)
 町制施行により、六辻町となる
1942年(昭和17年)
 六辻町を浦和市に合併する
2003年(平成15年)
 さいたま市が政令都市に、南区誕生
【自治連】
1987年(昭和58年)
 文蔵地区が現在の丁目町会になる
2003年(平成15年)
 文蔵自治連絡協議会を発足する
【主な建物】
1946年(昭和21年)
 六辻公民館設置、1969年(昭和44年)に消防署内に移転
1961年(昭和36年)
 南浦和駅開設
1966年(昭和41年)
 南浦和陸橋完成
1969年(昭和44年)
 浦和消防署南浦和出張所の設置
1975年(昭和50年)
 外環298号線の完成
1985年(昭和50年)
 文化センター開館と南浦和図書館併設
1991年(平成3年)
 六辻水辺公園完成
2009年(平成21年)
 白幡・根岸・文蔵地区に貯留管完成
【学校】
1874年(明治7年)
 辻の和光院に辻学校(睦和学校)開設
1886年(明治19年)
 白幡の医王寺に白幡学校(辻学校の分教場)開設
1901年(明冶36年)
 辻学校と白幡学校が合併し、新校舎に移転する
1908年(明冶41年)
 六辻尋常小学校となる
1911年(大正10年)
 六辻尋常小学校に高等科併置される
1929年(昭和4年)
 浦和町立浦和商業学校、白幡に開設
1934年(昭和9年)
 六辻小学校の分教場を別所に設置(今の別所小学校)
1941年(昭和16年)
 小学校を国民学校と改称
1943年(昭和18年)
 浦和市立中学校を創立し、六辻国民学校内に開設
1947年(昭和22年)
 白幡中学校は浦和商業学校に六辻中学校は六辻小学校に開設
1955年(昭和30年)
 六辻中学校、南浦和中学校と改称
1956年(昭和31年)
 南浦和中学校、根岸437番地に移転、1972年(昭和47年)辻 1898の1に移転
1963年(昭和38年)
 浦和市立南高校設置
 文蔵中溝453に私立実業学園商業高等学校設立
1968年(昭和43年)
 浦和市立辻小学校開設
1972年(昭和47年)
 浦和市立文蔵小学校開設
2006年(平成18年)
 浦和市立辻南小学校開設