ポンプ場 |
会議風景 |
*谷田地区自治会連合会ではこんな活動をしています。
平成25年度避難場所開設運営訓練 (谷田小学校体育館) |
平成24年度避難場所開設運営訓練 (善前小学校体育館) |
地区名“谷田”の由来は、明治22年4月に誕生した谷田村に始まります。
守光院 | ・源平合戦の宇治川先陣争いで有名な佐々木四郎高綱の兄、佐々木三郎守綱が元暦元年(1184年)に薬師如来と阿弥陀如来を守り本尊として安置したのが守光院の始まりと云われています。当初は守綱院としていましたが、慶安年間(1649年)時の徳川家綱の時代に、守綱院の綱の字を家綱にはばかって光に改め守光院としたと伝えられています。 |
二十三夜塔 |
・今から凡そ600年前、室町時代初期に扇谷上杉定正一族の起こした勢力争いに戦禍が広がり、果てしない混乱と不安におかされました。そんななかで平穏な生活を求めた人々が起こしたものが、月待(さんやまち)講でした。無事息災を願い勢至菩薩を[月天子]として観音経を唱え祈願したものです。当時は祈願堂もありましたが、約150年前に廃堂となり本石塔を建立したと伝えられています。 |
太田窪氷川神社 |
・須佐之男命を主祭神とする信仰は、その総本山が大宮の氷川神社です。この氷川神社から分霊して各地に氷川神社が祀られたもので、太田窪氷川神社もその一つで昭和44年には浦和市の指定有形文化財になっています。室町時代末期から桃山時代初期の建立とされ、この付近では数少ない鎮守の森を成し、初詣や盆踊りには多くの人で賑わいをみせています。 |
行弘寺 |
・行弘寺の建立は平安時代の大同2年と云われてり、守光院より377年も古い寺になります。昭和43年に不動堂が焼失しましたが、その造りは旧玉林院本堂の遺構と伝えられています。この行弘寺には筆塚があり、幕末から維新にかけて寺子屋が開かれていました。また行弘寺には不動尊があり、足立百不動の百番目の寺で境内には筆塚と並び供養塔の碑があります。この碑は昭和60年に浦和市の指定有形文化財になっています。 |
藤右衛門川と上谷沼 |
・藤右衛門川は大宮台地南端付近から始まる芝川の支流で一級河川です。江戸享保期に見沼の開発に併せて上谷沼という沼地の水を芝川に流すために並木藤右衛門という人物により開削されたと云われています。この付近は、大雨の度に家屋の浸水被害が発生していたため昭和49年から藤右衛門川の改修と上谷沼調節池の建設工事が始まり、昭和62年に完成し、現在は運動公園として多くの人達に親しまれています。 |
フラワーロード |
第2産業道路、明花公園脇から東南方向に約800mほど続く桜並木がフラワーロードです。ここは見沼代用水の西縁の下流の一部で農業用水として利用されていたところです。ひと昔前は夏には蛍も飛び交い湿地帯としての風情も漂っていましたが、近代化の波に押され現在はコンクリートの護岸となり、その情緒は失われてしまいました。しかし、その流れのなかには50pほどの鯉が群れをなして生息しており、また春にはお花見などで賑わい、大勢の方から親しまれています。 |